Col-legno BLOG


木曜日, 3月 18th, 2010

今年1月より、コル・レーニョ株式会社の専業となりました、近藤献です。
まずは、仕事をとるべし、と日々営業活動ばかりしておりましたが、やっと目処がたったというか、なんとなく仕事の可能性が見えてきました。ということもあって、ぼちぼちブログをまじめにやり始めようと思い立ったところでございます。

会社のウェブサイトについては、写真が古いとか、いろいろ言われておりますが、ウェブサイトで集客する、みたいな業種でもないので、本当に余裕ができたらやりたいと思っている次第。

さて、日々思っていることを書き綴る予定なんですが、自分のためにも、今後どんなトピックで書いていくか、についてまとめておきたいと考えています。

私自身、組織の変革、事業プラン作成、人材育成、撤退戦略、新規事業模索、オペレーション改革、CRM(顧客系の方です、クルーの方ではなくて)、広告宣伝効果測定、などなど、業種の異なる何社もの経営意思決定に関わってきたこともあり、様々な問題について、自分なりの問題把握の枠組みができてきました。

そんな中で、経営者や幹部が、考え方として、また、実際の経営の上で、知っておき、また実践してみるとよいだろうことを挙げていきたいものです。

以下、箇条書きになりますが、トピックを記載しておきます。

○ 組織のコミュニケーションロスを減らせ(内外問わずですが、話がきちんと伝わるようにどうすればよいか、あまり考えていない会社が多いと感じます)

○ 統計、確率を侮るなかれ(特に、発生している事象が、偶然によるのか?それとも理由があるのか?を見分ける力をつけること。これができず、なんでも理由を考える人多いです。こじつけたりして、結果、ゆがんだ認識がつくられていく)

○ 読み・書き・そろばん、会話力を鍛えるべし(5人以上の組織ならば、やはり、こういう基礎力を上げていくことは重要ですね。上のコミュニケーションロスの前段階にある話ですが、意外に、できていなかったりします)

○ 数字の関係を理解するべし(少し、数字について勉強した人は、相関関係や因果関係ばかりに目がいきます。しかし、本来相関しない数字について、それぞれが変化したときに、背景にどんなことがあるか?を考える癖をつけると随分いろいろな事が見えてきます。いろんな数字を使って、意味がないような指標も作り出して、その背景を探ってみては?)

○ 予算って何?(あらかじめ、算えること。PDCAでは何が一番大事?後で振り返ることが出来るPlanを作らなければ、それは計画ではなくて、ただのやりたいこと、または自分が行動することを宣言していることにすぎません。「個」人ばかり、ではだめ。後に続く人が、きちんと振り返って、参考にし、反省もしながら、新しい道を開けるようなP作りをしなければなりませんね。)

○ 好き嫌い、で行動。うまくいく背景は?(好き嫌いであたかも直感的に判断しているように見える経営者がいます。なんせ、結果も出ているので、文句も言えなかったりする。時代と市場、そして自社がかみ合っている限りは、バブル期と同じで、多少の外れの判断をしても、うまくいくものです。その瞬間は、好き嫌いだろうと、上手くいく。しかし、そうではない時期になっても、うまくいった頃のことが忘れられず、直感を信じてしまう。。もちろん、外し続けます。必然の上にある偶然に、自分がだまされないようにするには・・・)

○ 戦略的転換、イノベーションは、毎日考えることじゃない(トップは、そういう視点は忘れてはならないでしょうが、あまりに先のことばかり考えても仕方ないですね。イノベーションや変革が必要な時期ってあるものです。が、それを見誤り、手を出してしまったり、必要なときにもスルーしたり。じゃぁ、どうやったら、必要かどうかを見極められるのか?)

などなど・・。思いついたことも含めて、いろいろ記していきたいです。
あとは、どちらかというと、ツイッターじゃないけれど、独り言が多くなるかもしれません。
それでは、皆様、これから宜しくお願い申し上げます。

月曜日, 12月 14th, 2009

会社設立からかなり時間が経ってしまいました。ほぼ半年です。やっとブログを動かす気になりました、近藤献です。よろしくお願い申し上げます。

ファンドの仕事も、あと半月で基本的には終わりということで、これから当社での仕事で生きていくこととなりました。日々、勉強の毎日ではございますが、是非、皆々様のお力をお借りしながら、更に確度の高いアウトプットを出すために頑張って行く所存でございます。

業務内容については、追々こちらで公開していきますが、最初ということもあり、簡単な自己紹介をしたいと考えております。

徳島生まれで、小中高と公立学校で学びました。高校では、野球部と物理部に所属しておりながら、所属したクラスは文化系普通クラス(進学クラスではない、という意味だそうです)でした。
大学に出るために東京へ。京都の大学とともに入学資格を得たものの、結局、第一志望の東京の大学へ入りました。政治と経済を一緒の目線で学ぶという学部の、政治よりの学科を選択。学生時代は、大学の構内と行ってもよいような(キャンパスの間みたいなところ)場所にある寮で生活しておりました。学生時代は、バイク乗りと英語を学びながら楽しむようなサークル、音楽鑑賞サークルに属していました。また、試験の時に予想問題と模範解答なる(本当に模範だったかどうかは不明ながら)ものをつくっては配付していた覚えがあります(無償ですよ。名前とか書かなかったから知っているのは直接渡した人だけなんだと思うのですが、先生にばれたのか?私は点数低かった科目もありました)。

学部時代に、交渉学というものに出会い、勉強サークルを立ち上げるとともに、その先生の下で、まじめに勉強してみようと思い立ち、大学院進学することになりました。が、その先生は、なんと大学院では経営学を教えておられたため、私が学びたい内容とは若干ずれておりました。そこで、別の先生を紹介いただき、東京と名がつく、キャンパスが都内にない大学院に。そこでは、国際経営学という名前の下で、交渉や企業危機管理を学びました。

その後、外資系の戦略コンサルティングファームに入社(いわゆる大手戦略ファームの一つです)。真剣に企業変革を実施するクライアントとともに、変革のための力をつけていきました。労基法などは別として、毎日14時間、月に休みなし、みたいな時もあったのを覚えています。結果を出すことしか求められていなかった時代。様々な業種のお手伝いをしていく中、特に、プライベートエクイティのお仕事が増えてきたこともあり、その業界に関心を覚えました。
結果的に、日本の事業再生ファンド(他にもファンドはいろいろありましたが、事業再生というと、まずこの会社が思い出される時代が続きました)に入社。私は特に、繊維商社、スーパー、食品製造業、百貨店・・・という消費財に関係するビジネスの立て直しの現場で仕事をしてきたことになります。
ファンドの人ということで、机の上の業務が多いように感じられるかたもおられるかもしれませんが、現場で何が起きているか体験しないと、改善策も見えてこないとの信条で、自ら催事を企画し集客を図ったり、外商顧客のところへ行って商品の説明をしてみたり、スーパーの品出しやフェイスアップなどをやったり、と(汗)、身体を動かし、人脈を活かし、投資先企業の再生・改革実現のために走り回った時代でした。

その後、ファンドでの仕事を若干減らし、人材育成という場での仕事についても機会を得て、現在に至っております。ぼやっとした言葉ばかりで恐縮ですが、徐々に、いろいろと細かく公開していきたいと存じます。

まずは、第一回を以上で終えさせていただきます。今後も何卒よろしくお願い申し上げます。

水曜日, 7月 29th, 2009

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