コル・レーニョ株式会社のブログを開始しました


月曜日, 12月 14th, 2009

会社設立からかなり時間が経ってしまいました。ほぼ半年です。やっとブログを動かす気になりました、近藤献です。よろしくお願い申し上げます。

ファンドの仕事も、あと半月で基本的には終わりということで、これから当社での仕事で生きていくこととなりました。日々、勉強の毎日ではございますが、是非、皆々様のお力をお借りしながら、更に確度の高いアウトプットを出すために頑張って行く所存でございます。

業務内容については、追々こちらで公開していきますが、最初ということもあり、簡単な自己紹介をしたいと考えております。

徳島生まれで、小中高と公立学校で学びました。高校では、野球部と物理部に所属しておりながら、所属したクラスは文化系普通クラス(進学クラスではない、という意味だそうです)でした。
大学に出るために東京へ。京都の大学とともに入学資格を得たものの、結局、第一志望の東京の大学へ入りました。政治と経済を一緒の目線で学ぶという学部の、政治よりの学科を選択。学生時代は、大学の構内と行ってもよいような(キャンパスの間みたいなところ)場所にある寮で生活しておりました。学生時代は、バイク乗りと英語を学びながら楽しむようなサークル、音楽鑑賞サークルに属していました。また、試験の時に予想問題と模範解答なる(本当に模範だったかどうかは不明ながら)ものをつくっては配付していた覚えがあります(無償ですよ。名前とか書かなかったから知っているのは直接渡した人だけなんだと思うのですが、先生にばれたのか?私は点数低かった科目もありました)。

学部時代に、交渉学というものに出会い、勉強サークルを立ち上げるとともに、その先生の下で、まじめに勉強してみようと思い立ち、大学院進学することになりました。が、その先生は、なんと大学院では経営学を教えておられたため、私が学びたい内容とは若干ずれておりました。そこで、別の先生を紹介いただき、東京と名がつく、キャンパスが都内にない大学院に。そこでは、国際経営学という名前の下で、交渉や企業危機管理を学びました。

その後、外資系の戦略コンサルティングファームに入社(いわゆる大手戦略ファームの一つです)。真剣に企業変革を実施するクライアントとともに、変革のための力をつけていきました。労基法などは別として、毎日14時間、月に休みなし、みたいな時もあったのを覚えています。結果を出すことしか求められていなかった時代。様々な業種のお手伝いをしていく中、特に、プライベートエクイティのお仕事が増えてきたこともあり、その業界に関心を覚えました。
結果的に、日本の事業再生ファンド(他にもファンドはいろいろありましたが、事業再生というと、まずこの会社が思い出される時代が続きました)に入社。私は特に、繊維商社、スーパー、食品製造業、百貨店・・・という消費財に関係するビジネスの立て直しの現場で仕事をしてきたことになります。
ファンドの人ということで、机の上の業務が多いように感じられるかたもおられるかもしれませんが、現場で何が起きているか体験しないと、改善策も見えてこないとの信条で、自ら催事を企画し集客を図ったり、外商顧客のところへ行って商品の説明をしてみたり、スーパーの品出しやフェイスアップなどをやったり、と(汗)、身体を動かし、人脈を活かし、投資先企業の再生・改革実現のために走り回った時代でした。

その後、ファンドでの仕事を若干減らし、人材育成という場での仕事についても機会を得て、現在に至っております。ぼやっとした言葉ばかりで恐縮ですが、徐々に、いろいろと細かく公開していきたいと存じます。

まずは、第一回を以上で終えさせていただきます。今後も何卒よろしくお願い申し上げます。

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